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さて、「勝手に百番」の時間です。
本日の曲は「八重衣」。
さて、「勝手に百番」の時間です。
本日の曲は「八重衣」。
題にもあるとおり、難しいにも程がある!と泣き言並べたくなるような難曲にして大曲です。
作曲者は石川勾当、筝手付八重崎検校。
初めて検校さんでない方がでてきましたね。
検校さんが一番偉いんですが、この勾当はそれに次ぐ地位です。
相撲で言うなら検校が横綱、勾当は大関といったところでしょうか。
その下に別当、座頭と続くのですがこの辺の方々の作曲はあまり聞いたことがありません。
(まあ、仕込み刀で暴れまわる座頭ならいますがw)
だからと言って勾当が劣る訳ではないですよ。
この石川勾当という方は非常に才能に恵まれた方だったらしく、沢山の大曲にして名曲を今に残しています。
元は結構いい出身だったのではないか、と推測されています(武家とか公家出身で盲目を理由に廃嫡になったとか)。
曲の元ネタが能だとか古今集だとかそういったところから引いていることが多いからです。
ただ、その才能を嫉まれて不遇だったようで、結局検校になる前に隠棲してしまいました。
さて、石川勾当が引退してしまった後、八重衣を含む何曲もの名曲が残されました。
が、どれもこれも非常に難しい(実は本人も弾きこなせなかったという話も)。
そして元の曲の味わいを殺さずに筝の手付をするのは至難の業だと誰も手がつけられず、忘れ去られようとしておりました。
でも難しくともいい曲だし、忘れ去られるのは惜しいと思ったとある検校さん(宮原検校:ここでは初出)がいらっしゃいました。
そしてそこに当時筝手付の名人として頭角を現してきた若き八重崎検校がおりました。
一計を案じ、宮原検校は他の人との話のついでにこんなことを言います。
「八重崎検校は当代一の手付の名人と言われているが、『八重衣』の手付もできないようでは名人とは言えまい!」
この八重崎検校という方はかなり負けず嫌いだったのか(菊岡検校とも演奏対決したりして、最終的には名コンビになっています)この話を聞いて発奮、原曲の味わいを生かしかつ筝が加わることによって得られる華やかさや奥行きを加えた素晴らしい手をつけ、そして今に残る曲となったのでした。
曲の歌詞は小倉百人一首から採られています。当然、藤原定家の記載した通りの歌詞です。
全て「衣」が入っているところから「八重衣」の題になっています。ただし、「八重」といいつつも八首ではありません。
以下、順に記載。
光孝天皇:君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ
持統天皇:春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
(万葉集の元歌:春過ぎて夏来るらし白妙の衣干すなり天の香具山)
参議雅経:みよしのの山の秋風小夜更けて古里寒く衣打つなり
天智天皇:秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露に濡れつつ
後京極摂政太政大臣:きりぎりす鳴くや霜夜の狭莚に衣かたしきひとりかも寝む
この合間合間に非常に難しく凝ったつくりの手事が入り、その他にも「ちらし」と呼ばれる華やかで技巧を見せる部分が何回も入ったりして延々30分の大曲です。
かなり、(弾けないわ唄えないわ難しいわで)泣けますw
作曲者は石川勾当、筝手付八重崎検校。
初めて検校さんでない方がでてきましたね。
検校さんが一番偉いんですが、この勾当はそれに次ぐ地位です。
相撲で言うなら検校が横綱、勾当は大関といったところでしょうか。
その下に別当、座頭と続くのですがこの辺の方々の作曲はあまり聞いたことがありません。
(まあ、仕込み刀で暴れまわる座頭ならいますがw)
だからと言って勾当が劣る訳ではないですよ。
この石川勾当という方は非常に才能に恵まれた方だったらしく、沢山の大曲にして名曲を今に残しています。
元は結構いい出身だったのではないか、と推測されています(武家とか公家出身で盲目を理由に廃嫡になったとか)。
曲の元ネタが能だとか古今集だとかそういったところから引いていることが多いからです。
ただ、その才能を嫉まれて不遇だったようで、結局検校になる前に隠棲してしまいました。
さて、石川勾当が引退してしまった後、八重衣を含む何曲もの名曲が残されました。
が、どれもこれも非常に難しい(実は本人も弾きこなせなかったという話も)。
そして元の曲の味わいを殺さずに筝の手付をするのは至難の業だと誰も手がつけられず、忘れ去られようとしておりました。
でも難しくともいい曲だし、忘れ去られるのは惜しいと思ったとある検校さん(宮原検校:ここでは初出)がいらっしゃいました。
そしてそこに当時筝手付の名人として頭角を現してきた若き八重崎検校がおりました。
一計を案じ、宮原検校は他の人との話のついでにこんなことを言います。
「八重崎検校は当代一の手付の名人と言われているが、『八重衣』の手付もできないようでは名人とは言えまい!」
この八重崎検校という方はかなり負けず嫌いだったのか(菊岡検校とも演奏対決したりして、最終的には名コンビになっています)この話を聞いて発奮、原曲の味わいを生かしかつ筝が加わることによって得られる華やかさや奥行きを加えた素晴らしい手をつけ、そして今に残る曲となったのでした。
曲の歌詞は小倉百人一首から採られています。当然、藤原定家の記載した通りの歌詞です。
全て「衣」が入っているところから「八重衣」の題になっています。ただし、「八重」といいつつも八首ではありません。
以下、順に記載。
光孝天皇:君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ
持統天皇:春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
(万葉集の元歌:春過ぎて夏来るらし白妙の衣干すなり天の香具山)
参議雅経:みよしのの山の秋風小夜更けて古里寒く衣打つなり
天智天皇:秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露に濡れつつ
後京極摂政太政大臣:きりぎりす鳴くや霜夜の狭莚に衣かたしきひとりかも寝む
この合間合間に非常に難しく凝ったつくりの手事が入り、その他にも「ちらし」と呼ばれる華やかで技巧を見せる部分が何回も入ったりして延々30分の大曲です。
かなり、(弾けないわ唄えないわ難しいわで)泣けますw
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