更新記録・近況・野球観戦記・日記など
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また廻ってくるんだなあという感慨と今まで言ってなかったエグイ話。
ライフラインの復旧は電気>水道>>>(越えられない壁)>>ガスだった。
もちろん、プロパンの家は大丈夫だったし平野で給水塔使ってないところに住んでいた人には水の問題はなかった。ソーラー搭載の家も明るい生活だったし。
電気なくても何とかなるもので、ストーブとカセットコンロ大活躍。
おつまみセットのパエリア(カルパス&野菜チップス)、野菜の端っことウインナのスープ(いわゆる食べるスープ系)、適当に塩コショウした肉か魚のホイル焼きが定番メニューだった。
反射式ストーブは上が広いので、中央で火力のいるパエリア作って、すみっこのやや余熱っぽいところでホイル焼き、カセットコンロでスープ、これで3品。
皿にはラップを張っておいて汚れたらはがして捨てる。いざとなったら舐める!
電気のない状況では調理は日のあるうちに済ませないとどうしようもない。どうしたって時間かかるので(やっぱり火力の問題)長めに見ておかないといけないし。暗い中で調味料探すのはきつい。は!か!た!の!し!お!と砂糖見た目似てるし。
絶賛花粉症だったのに薬手に入らず。
ただこれは鼻水目のかゆみくしゃみで命に別状のあるものではないからいいんだけど、致命的な疾患のある人は死活問題だった。
ありとあらゆる物資がなかったからさ、人間咄嗟に思いつくのは水と食料とトイレットペーパーだし。
あの時生死を分ける決断を迫られた訳じゃない。
だけど咄嗟に車捨てて逃げることができるだろうかと考えてしまう。
逃げる車で渋滞して動かなくなったところに津波来襲。車捨てて東部道路ののり面に駆け上がった人は助かり、車にこだわった人は助からなかった。
どうしようもないと覚悟した人は自分の腕に名前を書き込んだ。
自分だったら何ができただろう。セーブもリスタートもできん現実が待っている。
「ふざけんなくそったれ、泥食ってでも生き延びてやる」
があの時の偽らざる本音だった。
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