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こんばんは。「勝手に百番」の時間ですw

今回の曲は「大内山」。


明治天皇ご成婚25周年記念(銀婚式)に高野茂によって作曲されたもの。ジャンルとしては明治新曲と呼ばれてますね。
新年ということでめでたげな曲にしてみました。
題名の「大内山」は京都仁和寺の裏山の名前です。

とはいえ、いわゆる古典と何が違うのかといわれると非常に苦しい。
だってねえ、「前唄~手事~後唄」の基本構成に則っているし、技法も変わりないし。
何の曲か知ってないと「これが明治新曲だ!」とは断言できないですよ。
これが宮城道雄までくると何か新しい感じがしてくるのですが。

何でこの曲を選んだのかというと、古典と現代を繋ぐ時代のものというほかに、彼が九州系地唄の流れを汲んでいるからなのです。

地唄、と呼ばれるジャンルは主に上方(京都・大阪)で発展しておりました。今まで出てきた検校さんたちも多くは京都で活躍しています(吉沢検校は名古屋ですが)。
でも全員が全員京都出身だったということはなく、地方から才能を見出されて、あるいは青雲の志を抱いて上京した人も多々あったようです。
そんな中に宮原検校という方がおりました。「八重衣」の回で若き八重崎検校を焚きつけたおっさん(?)です。
彼は福岡(久留米)の出身でして、地元と京都を行ったり来たりしていたようです。
あの辺だと瀬戸内の海上交通を使って楽に移動できたんじゃないでしょうか。

で、まあ彼もいくつか作曲したみたいなんですが、個人的にはちょっとなじみがなくて紹介できそうにありません。
でも彼の残した業績はそれ以上にあって、
「上方に伝えられた手と違うものを残した」
というところにあるんですね。

何度も書いていますが、地唄にせよ箏曲にせよ、楽譜というものが存在しておりませんでした。
菊岡vs八重崎の超絶技巧演奏対決の譜が残ってたらそりゃーもうすごかったでしょうが、ないんですね。
当然耳覚えで覚えていくしかなくて、先生の技術より劣っていたらちょっと省略して弾いたりせざるを得ない訳です(どうしても手が間に合わなくてちょっと省略してしまう気持ちはよーく分かります)。
あるいは、唄に勝手にこぶしを入れてしまう(これは逆に絶好調だとやってしまいたくなる)。
そうやって伝承していくうちにオリジナルの部分がどこにあったのか分からなくなってしまうのです。
京都・大阪は地理的に近いのでそれなりに影響しあって大体同じような節回しで今に至っています。

が、宮原検校は京都と地元を行き来する間に京都で当時流行の曲をいくつも物にしては地元の弟子に教えていったんですね。
その弟子たちもまた同じように省略したり付け加えたりしていって今に至るのですが、当然ながら上方に残っていた曲の形とは違うものになっていました。
これが「九州系地唄」として今に伝わっているものです。
曲の骨格は上方も九州も同じですが、装飾が違う。唄の節回しが違う。何か違う手が入っている。

実は先日買ったCDの地唄も、九州系の方でして。唄も手もかなり違ってて節の参考にはならんかった…
いやでもすごくいいんだ…最後まで眠らずに聴ける人なんだ…
本当は宮城派のCDにすりゃよかったんだが、宮城道雄本人ならともかく跡継ぎの方はその(ごにょごにょ)。
人間国宝ったってその(ごにょごにょ)。

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