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更新記録・近況・野球観戦記・日記など
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あれから半年。

混乱する頭を切り替える時が来たようだ。

色んな区切りとすべき行事があって、それでも何か混乱していて。
何となく虚ろで何をすべきか、あるべき場所からちょっと離れたところからぼんやり眺めている、そんな状態がずっと続いていました。

自分の住む区は浸水率40%と報じられておりましたが、津波の津の字もないような場所でして。
徒歩で帰宅するその道々、遠い丘の向こう、晴れていたら海が見える場所に白く煙が上がっていたのはもしかしたら水煙だったのかも。
ただものすごい勢いで雪が降っていたので見間違いかも知れませんが。

あの時、現場にいた人間は変な非日常感の中にあった。
電気はない、水は出ない、海辺の工場が爆発炎上した煙は延々立ち上っている、みんなリュックしょって買出し、でも食料ないからとりあえずトイレットペーパー。
あの時日本人って本当にトイレットペーパー好きだなーと思った。
いや便利だけどさ。
悪い情報は刻一刻と入ってきたけれど、不思議と恐怖感はなかった。
あの時現場にいた自分達は映像を見ることができなかった分、「とりあえずやれることやろうぜ」な感じであったことは間違いない。

断水で水を節約しなければならなかったので(街中は断水しなかった模様。出勤の度に水汲んでた)、白いご飯はしばらく食べられなかった。
まあそれは想定の範囲内なので問題なかったんだけど、よく考えたらうどんや素麺、宮城の誇る白石うーめんも食べられない。
乾麺は保存食としては不向きだ!
逆に心強かったのは羊羹。あのガソリンっぷりは超強力。
今後は彼岸ごとに買い換えて常備することに。

電気が復活してTVが見られるようになってからの方が苦しかったかな。
毎日毎日三陸の町々へと自衛隊のヘリが飛んでいくのを最敬礼で見送ることぐらいしかできないことがきつかった。
この時点で車のガソリン残り1/4、何か起こったら隣県の弟のところに逃げていけるぎりぎりの量で、とてもじゃないけどどこかへ手伝いには行けない。
結局ガソリンが手に入ったのは4月に入って品薄が解消してから。

一番きつかったのは四月の余震。
あの時は心が折れそうだった。っていうか折れた。
せっかく片付けた部屋がぐちゃぐちゃになったのはまあいい。
また停電と断水の生活が始まるのかと思ったら泣けてきた…現実には涙も出なかったが。
この余震にはオチがあって、地震で家が傾いて掃き出し窓が閉まらなくなっていたのがそこそこちゃんと閉まるようになったのは助かった。
極稀にいいこともあるようだ。

その後怒涛のように復旧が進み、新幹線が走り街にネオンがついて野球が始まって、人も車も凄まじい勢いで交差して。
でも時々「ここはどこなんだろう」と思わずにはいられない。
街からほんの数キロ、未だに海辺は復興のメドが立っていない。
最後の砦となって町々を救った東部道路を走ると愕然とする。
右と左で景色が全然違う。
この時期金色の稲穂が揺れるはずの景色は、雑然とした緑に覆われたまま。

幸いにして直接の知り合いの中に津波で犠牲になった人は出なかった(職場が孤立してゴムボートで救出されたとか、堤防ぎりぎりだったとかという人はいた)。
石巻や塩釜の方も無事だった(家も)。
でもかつての同級生でどう考えても被害の出たところに家があった人が何人かいて、消息を聞くのが怖い状態。
どこかからみんな無事だった、と聞く日が来ることを信じている。
薄情だと思うけど、それが偽らざる本音。

どこか何か虚ろな状態のまま、半年が過ぎてしまったけど、そろそろ意識を取り戻してもいいんじゃないのかと思い、とりとめもないまま書き殴ってみました。
震災のドサクサでブラックな職場も脱出できたし、リハビリも兼ねて何か書こうと思ってます。
楽しいバカネタが出てきたら最高なんだけど、超鬱な話になったらごめん。

いや、もしかしたら野球ネタで盛り上がりすぎてお留守になるかもw

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